「小児科キャリアをもっと知りたい!」という熱い思いを胸に、全国の小児科医の先生方にインタビューさせていただきます!様々な現場で活躍される先生方の声を通して、小児科を志す私たちのこれからを考えるヒントにできればと思います。
今回インタビューさせていただくのは、沖縄県立南部医療センター・こども医療センターで勤務されている張慶哲先生です。
まだ確立途上にあった小児感染症という分野に身を置き、試行錯誤を重ねながらキャリアを築いてこられた張先生。これまでの歩みや小児科医としてのやりがいについて伺いました!
これまでのご経歴について
Q.小児科を志したきっかけは何ですか?
医学部5年生で初めて実習に出た時に最初に回ったのが小児科で、子どもと関わる仕事っていいなと感じました。初期研修が始まる頃には小児科志望と答えていたと思います。
Q. その中で印象に残っている症例はありますか?
私の大学は、1型糖尿病といった内分泌疾患の診療に力を入れていたので、長期入院をされている症例が多かったです。そんな患者さんと若手・中堅の先生が一緒にゲームをしたり、ポケモンの話をしたりしていたのを見てすごく楽しそうだなと思っていました。
Q. 他の科とは迷わなかったですか?
感染症に興味があったので、成人の感染症をやってみたいと思ったこともありましたが、やはり小児の方が魅力的に感じていました。自分自身こだわりが強く、一度決めたらぶれない性格だったのもあり、最終的には小児科に進むことにしました。
Q. その後、初期研修先を選択する際に意識したことは何ですか?
当時は何かを特別意識するということはなかったですね。
というのも、学生時代は部活でギターばかり弾いていて、医学のことを真面目にやっていなかったと自他共に認めるほどでした。しいて挙げるとすれば、やはり小児症例があって、しっかりと後期研修につながるような病院を探していました。出身の関西から出ることなど全く考えておらず、大学に戻って医局に入るというキャリアを思い描いていました。
実際のところは、大阪で初期研修を積んだ後、長野→東京→神戸→沖縄と進んできたので、はっきり言って当時の自分は何を考えていたんだろうなぁと思っています。
Q. 後期研修で長野県立こども病院を選ばれたとお聞きしましたが、関西のこども病院という選択肢はなかったのでしょうか?
もちろん、関西にも大阪母子医療センターや兵庫県立こども病院など、小児専門病院はいくつかあります。ただ、当時の私は本当に何も考えていなくて、インターネットも今ほどは普及していなかったので、あまり情報がありませんでした。先輩が長野県立こども病院に行っていたことと、参加したレジナビフェア*1 で唯一ブースを出していたこども病院がそこだけだったことを理由に、最終的には決めたという感じです。
*1 全国の研修指定病院が集まり、研修プログラムや採用情報を医学生・研修医に提供する合同説明会
Q. 周りの影響が大きかったんですね。
私の世界が狭かったんだと思います。誰かがいるところ・情報があるところとなると、関東に出るという選択肢は考えなかったです。
また、後に私のメンターとなる笠井正志先生が長野県立こども病院にいらっしゃったというのも大きかったです。当時、小児感染症を専門にされている先生は本当に少なく、専門家のもとで学んでみたいと思い決断しました。
Q. 偶然が重なった結果だったんですね。最初に小児感染症に魅力を感じたのはいつですか?
初期研修を行った病院が二次病院だったので、肺炎や尿路感染症といった感染症患者を多く診ていました。たくさん小児患者を診察出来てとても良い経験になったのですが、少し仕事ができるようになるといろいろ疑問が出てきて、例えばCRPが上がっていたら病院指定の抗菌薬を使うというようなやり方は、当時のレジデントノートや教科書などに書かれていることとは、かなり違っていることに気づいたんです。「抗菌薬は微生物を特定してから使う」「CRPは重症度に関係しない」というような内容が書いてあったにも関わらず、それらは現場では実践されていないし、誰に聞いても明確な答えが帰ってこないことに疑問を抱きました。これが私の方向性を変えた瞬間です。
このまま医局や病院の伝統に由来したやり方を続けていても疑問は解決されないかもしれないし、とりあえず教えてもらった通りにやるような医者になるんだったらつまらないなと思ったので、思い切って外に出てみようと決心をしました。振り返ると私は、「こうなりたい」という前向きな気持ちよりも、「こうはなりたくない」という反骨心を原動力に行動してきたと思います。
Q. 昔は決まったやり方がなかったということですが、現在はどうなっていますか?
だいぶ変わってきましたね。こども病院は小児感染症科が増えてきましたし、5年ほど前に小児感染症の専門医制度が始まったことで大きく変わりました。また、私が若手だった頃は勉強するなら英語の教科書を読むしかなかったのですが、今では日本語の教科書もたくさん出版されていて、勉強へのアクセスも格段によくなっています。それは臨床現場にも反映されていると感じます。それでもまだまだ課題はありますけどね。
Q.初期・後期研修を経て変わった想いはありましたか?
初期研修をした病院は比較的規模が小さくて、初期研修医でしたけどまるで一人の医師のようにリスペクトしてもらえるような環境でした。そこに甘えていた自分が、いざこども病院に行ってみるとかなり打ちのめされましたね。患者さんの重症度も高く、同時に看護師さんの専門性も高かったので、未熟な医師に患者さんを触らせたくないと、厳しい言葉をかけられることもありました。複雑な心奇形なども多く診ることになり、優秀な同期と比べても自分がいかに勉強不足であるかを痛感させられました。
必死で勉強したり、診療する中で大きく変化したのは、病気を抱えながら生きていくということを心の底から理解できたということです。ご本人やご家族の喜びや苦しみを支えていくことが小児科医の仕事なのだと、何段階も深いところで感じたのが後期研修だったと思います。
それまでは元気で風邪をひいた子どもたちばかり診ていたところから一転、医療的ケアが必要な子どもたちやそれを取り巻く環境を目の前にし、ご家族をはじめ多くの方々がその子の命をつないでいることを知りました。そして、その輪の中で小児科医として関われることに、この仕事の価値を感じました。
Q. 辛くなったり迷いや葛藤を感じることはありましたか?
一部の子どもたちは亡くなったり、人工呼吸器が外れなかったりする中で、果たして自分のやっていることに意味はあるのだろうか?と考えることはありました。この子の命をつないだとき、その先の治療や生活が何となく見える中で、それが本当に幸せと言えるのかと考えてしまうんです。けれども、それを決めるのは私ではなく、患者さんやご家族であるということに次第に気づいていきました。その子が社会に生きていることをリスペクトし、周りに与えているプラスの影響を信じるべきであると思いつづけています。
Q. そういった葛藤のなかで、自分のやりたいことは変わらなかったですか?
メジャーなところでいうと、NICUは手技も下手でセンスがなかったです。決められたことを行っていくというのが苦手なので、あまり自分には合わないなと感じました。
長期入院が多く、遊びながら関われるという点で小児血液も迷いましたが、血液の患者さんを診ている時でも、自分は結局抗菌薬の使い方が一番気になっていたので、やっぱり感染症が好きなんだと気づかされました。最後は笠井先生の後押しもあり、小児感染症の道に進むことにしました。
小児感染症というのはニッチな分野なのかもしれませんが、私の性に合っていたのも事実だと思います。自分で勉強するほうが信頼できると思っているし、何より先輩の先生にただ指図されて動くというのがすごく嫌だったんです。決まりきったプロトコルをこなす駒になるよりは、まだ誰もやっていない分野で早く一人前になりたいという思いが強かったです。
振り返ってみれば、研修3年目から当時の病院の感染コントロールチームに出入りしてグラム染色をやってみたり、MRSA感染症の治療方針について相談されたりといった業務をしていたので、予兆はあったかと思います。
Q. 当時はあまり研究が進んでいなかった小児感染症科こそ、先生の天職だったんですね。現在は沖縄にいらっしゃるということですが、最初に来てみた印象はどうでしたか?
沖縄県立中部病院で行われてきたアメリカ式の研修プログラムの影響もあり、沖縄には感染症を大切にする文化がありました。一方で、小児感染症の専門家はいなかったですね。

Q. 専門領域としては未整備であった中で、どのように体制を整えていかれたのでしょうか?
そもそも感染症に関わる医師というのは大きく2種類に分けられて、総合診療をしながら感染症に関わるパターンと感染症専任でコンサルタントとして働くパターンがあるのですが、私は後者です。
コンサルタントとして最も大事なのは、信頼を勝ち取ることです。そのためには、小さいことでもいいので「この人いてくれてよかったな」というような経験を積み上げていく必要があります。しかも、コンサルタントというのは10回成功しても1回失敗してしまっては、一気に信頼を失う仕事なので、いかにして信頼を積み重ね、そして失わないようにするかというのを大切にしています。
なので、声がかかったらすぐに現場に駆け付け、困っている患者さんや医師、看護師の話を聞いて丁寧に対応しています。特に感染対策というのは院内で最も困ることの一つなので、そういったところでしっかりと信頼を勝ち取ることが大事です。チームとして動くにあたり、医師や看護師以外にも、検査技師や薬剤師といった全てのコメディカルと密にコミュニケーションをとり、感謝の気持ちを伝えることを意識しています。
現在のお仕事について
Q. 先生の1日のスケジュールについて教えてください。
私の役割は主に3つあります。
1つは、感染症診療=コンサルテーションの業務です。入院患者さんに対する抗菌薬投与についての問い合わせやグラム染色の依頼を引き受けています。
2つ目が、ICT(感染対策チーム)の業務です。これは看護師がメインですが、MRSA対策を考えたり、地域や保健所の会議に出席したりします。抗菌薬の適正使用もこの一環で、AMRアクションプラン*2 通りに使用されているかを薬剤師とチェックしています。
3つ目として、研修管理副委員長という立場でもあるので、学生・研修医の教育担当をしています。
この3つを大体1:1:1の割合で行っています。
なので、朝から患者さんのところを回って診療業務をし、忙しいときは午後から学生のマッチングの相談を受けたりするといった流れです。
*2 厚生労働省が提言している薬剤耐性に対する行動計画
Q. 3つの役割を担っておられる中で、現在の小児感染症において特に課題だと感じておられる点はありますか?
小児感染症というのは昔に比べて勉強しやすくなっている一方で、深くまで考えてくれる人が少なくなっている印象を受けます。教科書に書かれている答えだけでなく、その背景や疫学的な原因まで考えてみることがこの分野の本当の面白さだと思うので、そこは少し残念ですね。
業界全体としては、専門医が増えているにもかかわらず、大学病院における働き手が足りていないというのが課題ですね。大学病院というのは重症感染症にかかりやすい患者さんがたくさん集まっているので、もともとの疾患の治療医はいるけれど感染症医がいないというアンバランスな状況は改善しなければいけないと感じています。
Q. 深くまで学んでくれる若手が減っているという部分に関しては、教育にも携わっている先生として何か対策をされていますか?
レクチャーをしていてもあまり実感がわかないので、かなり迷っています。むしろ初期研修医の方が感染症について素直に聞いてくれるので、小児科のレジデントにどうアプローチするのかというのは難しい問題です。
沖縄に来るときの目標として、3年に1人は小児感染症医を育て上げると掲げていたのですが、実際のところは、7年経った現在でも直接の教え子が専門医になったというのはないので、なかなかうまくいきませんね。
未来について
Q. 先生自身の今後の展望についてお聞かせください。
教育は大事ですが、その手法を学んだり、医学教育の教育者として働くというのは、自分にはしっくりきていません。
ただ、沖縄に来て、コロナも経験して、最近思うのは沖縄でしっかりと小児科医を増やしていきたいということです。現在沖縄には大学が1つ、こども病院が1つという状況なので、ここが密に連携することで県として小児科医を育て上げたいというのが大きな目標になります。

あとは、自分自身のやりがいと感じることにもう少し力を入れたいですね。例えば、感染症を疑われて紹介される外来患者さんの中にも、身体表現性障害*3 のような心因性のお子さんがいらっしゃるのですが、私はそういう症例を見つけるのが好きで、その子が日中に好きなことをできるようになっていく過程を見ているとすごく嬉しいんですよね。
なので、小児感染症や教育だけでなく、小児総合診療という点も置いて、その三角形のどこかで生きていきたいなと思っています。
*3 身体的な異常がないにも関わらず、吐き気や痛み、しびれ等の身体症状が長期間継続する病気
⭐️「子ども好き」で小児科医になっていいの?という問いを持つ学生へのメッセージはありますか?
あえて少し尖った返事をしますが、私の答えはNOです。
なぜなら、その“子ども”に私の想像するような全ての子どもが入っていないような気がするからです。私が後期研修で出会ったような心奇形のあるお子さんや神経疾患を抱えるお子さんが含まれていないかもしれないという点に、少し懸念を感じてしまいます。小児科医になるということは全ての子どもに向き合う覚悟が必要だと思っています。
実際小児科研修を体験してみると、思っていたのと違うという理由で悩み、そして進路を変更する研修医も見てきました。私自身も5年目くらいにやっと覚悟が決まったので、学生さんにそれを求めるというのは、かなり高いハードルだとは思いますが、苦しみを抱える子どもやご家族に寄り添う気持ち、想像する気持ちは小児科医として絶対に持っておかなければならないとは伝えておきたいです。
⭐️医師として人生をかけて作ったものや作りたいものはありますか?
最近こういったことを全然考えていなかったですね。
やはり子どもに優しい社会になってほしいと願っていますし、それが地域や国の将来にとって大事なことだと思っています。私の場合は、幼稚園から大学医学部の教育まで興味をもつことで、そういった社会の実現に貢献したいと考えています。
同時に、病院をもっとオープンなものにしたいと思っています。どのような患者さんがいて、ご家族も含めてどのような生活をしているかというのをより多くの人に知ってもらいたいです。私自身、小児科レジデントくらいの頃、外来に来る患者さんの成人後の姿というのを本当に知らない・想像できていないんだと感じたことがありました。なので、自分も含めて社会がそういう存在を知ることで、彼らがより生きやすくなるのではないかと信じています。

ショッピングモールに臨時開設されたステージにて。
編集後記
小児感染症のような比較的ニッチな領域を新たな地で確立されるのは、かなり必要なことだと思います。周りからの信頼を勝ちとるために、日頃のコミュニケーションなど地道な積み重ねを大切にしたいと思います。
ありがとうございました!
