本記事は「それって気遣い?おせっかい?」というテーマに対して、お米とかしゅうがペアMTGを行い、それで得た発見や感想をまとめたものです。

お米
地方国公立医学部5年。
学校では比較的真面目なキャラで授業・実習に取り組んでいる。

テーマ設定の背景や目的を先に読んでいただけるとより楽しめると思います。

おせっかいの概念を初めて意識したとき

中学生の時、道徳の授業で盲目の方が講演をしてくださったことを覚えています。
「障害を持っていても、普通の人間としての尊厳を持って生きたい。電車で杖をついているからと言って席を譲ってくれなくていい。私のように障害者扱いしてほしくない人もいる。」
という趣旨のお話が非常に印象的でした。
 
小学校の頃から、「不自由な体をしている人に優しく接しなさい」と教わってきて、手を差し伸べることこそ正義だと信じてきた自分の根底を覆された感覚でした。
 
その授業があまりに印象的で、助けてもらうことがその人にとって常に嬉しいものではないと考えるようになりました。
 
基本的に誰かを助けられる機会があっても、助けを求められるのを待ったり、まずは観察から入るようになったりしたのはこの時からだと思います。

おせっかいの自覚がない

普段からこのようなことを考えているので、おせっかいをしているつもりがありませんでした。
そこで、逆に自分が誰かからの行動をおせっかいと感じた経験がないか振り返りましたが、特にこれといって思いつきませんでした。自分が休み時間に調べ物をしたかった一方で、友人から食堂でのご飯に誘われて、断りづらかったことぐらいです。
しかし、そのお誘いもおせっかいと感じたことはなく、誘ってもらえるのは嬉しいので全く嫌な気持ちもなければ、同じことをもう一度されてもおそらく嬉しいです。
 
私は何かを与える側にしても受ける側にしても、「おせっかい」だと自分が感じる閾値が高い=なかなか「おせっかい」と感じないのだと思います。
誰かが別の誰かを思った行動を取っていれば、結果がどうであれ、その気持ちが微笑ましいと感じてしまいます。

おせっかいかどうか、第三者に教えてもらう

ただ、自分がおせっかいと感じていないだけで、同じ行動を受けても嫌な気持ちにさせてしまう可能性があることは確かでしょう。
独りよがりの考えで周りの人を傷つけないように、自分の行動が相手にとってどう捉えられていそうか、第三者に聞いてみるのは一つの手かもしれません。

この行動でよかったかな、と心配しすぎるぐらいが自分には良さそうです。


かしゅうから記事への感想

同じ行動でも応じられたり断らざるを得ない時もあり本当に難しいなと思います。
一つ一つの行動をおせっかいだったかな、と心配するくらいの方が自覚せずに暴走するのを防げて一つの答えに辿り着いているのかと感じました(お米さんはなさそうですが笑)

対話は、キャリアの主食。

記事の先に、話せる先輩がいます。姉妹コミュニティ「メドキャリ」の1on1へ。

メドキャリで先輩と話してみる →