「小児科キャリアをもっと知りたい!」という熱い思いを胸に、全国の小児科医の先生方にインタビューさせていただきます!様々な現場で活躍される先生方の声を通して、小児科を志す私たちのこれからを考えるヒントにできればと思います。
今回インタビューさせていただくのは、埼玉医科大学総合医療センター・井上信明先生です。
公衆衛生を学び、海外での研修システムづくりに取り組む一方、日本における小児救急の普及・発展にも尽力されてきました。
先生が掲げる「根拠のある安全と安心を子どもたちと家族に届ける」という信念に込められた思いや、その原点について伺いました!
※この記事は後編です。前編はこちらからご覧ください⇓
これまでのキャリアについて
Q. 国際協力と小児救急の両軸を持っていることで、互いに影響を及ぼした点はありますか?
小児救急というのは先ほども申し上げたとおり、私のアイデンティティであり、何をやってもそこにつながっていくと思っています。そんな小児救急で大切にしている「根拠のある安全と安心」を全ての子どもたちに届ける方法を考える際のツールとして公衆衛生があると考えています。もし公衆衛生を勉強していなければ、今も多分視点が病院の中にあって、病院に来る患者さんをどうマネージするかという点に集中していたと思います。しかし、公衆衛生の視点を持つことができると、地域全体→国全体みたいにどんどん視点が高くなっていくので、自分にとって目が開かれた感じがしましたね。社会人大学院生として英語で授業を受け、課題もしながら夜のシフトに出ていたので、机の前でそのまま寝てしまうような日もあって大変でしたが、学びはとても大きかったです。
Q. アイデンティティは一種の武器ともいえるかと思いますが、私自身見つけるのが難しいと感じています。何かアドバイスをいただきたいです。
私はキャリア形成にとても興味があり、キャリアコンサルタントの学校にも通って勉強したこともあるのですが、その中で学んだことの1つにキャリアアンカーという概念があります。キャリアアンカーとは、社会で生きていくにあたって絶対譲れない価値観のことを指しますが、これはもともと備わっているものではなく、仕事をしてく過程で、一般的には5~10年かけて築かれていくものだと言われています。なので、今の時点で自分の中に軸がないというのはあまりネガティブに捉える必要はなくて、むしろ何も決まっていない時期だからこそリスクをとっていろんなものに挑戦して、自分のキャパシティを広げる方向に進んだ方がいいんじゃないかと思います。
もう一つ、キャリア理論の中で私がしっくりきていているのが、プランド・ハップンスタンス理論といって、「人生は偶然の連続だが、その偶然を自分のものにできるように備えておく」という考え方です。私がアメリカに行くまでの過程がその一例だと思ってます。
当時はメールがなかったので、全米にある180のプログラムに対して、小児科研修に興味のある日本の研修医を採用する意思があるか確認する手紙を書いたのですが、そのうち採用する意思があるという返事をもらえたのがわずか30だったんです。しかも、その30個に絞って応募してもその後の返信は来ず。それがたまたま、1か月だけハワイに研修に行かせていただいた際にお世話になった英語の先生と帰国後もやり取りをしていたんですが、その方に相談したらハワイ大学の小児科プログラムのディレクターと友達だということが分かり、そのまま繋げていただきました。そしてまもなく、ハワイの小児科プログラムから面接のオファーをいただいたんです。でもこの間私は、いくつもトライしてオファーはなかったけれど、いつ呼ばれてもいけるよう準備はしていました。また、別のハワイ大学小児科の先生が偶然千葉に研修指導にいらっしゃると伺ったので、仕事を休んで出かけていきました。そしてどれだけアメリカに行きたいかを熱弁したら、その先生が感銘を受けてくださって、プログラムディレクターにも私の熱い思いを届けてくださいました。最終的には面接で「熱意は十分に聞いている。君を採用しないわけにはいかない」と言っていただけました。
私は、USMLEの点数が合格最低点でしたし、グリーンカード(米国永住権)もないしと、英語もできない、圧倒的に不利な状態でした。でも、こんな自分でも行けたので誰でも行けるとは思いますが、やりたいことを実現するための準備は誰よりもしていたかもしれません。偶然を拾い上げるというのはなかなか難しいですが、これまでに成功して来た人も、実はそのために準備をしていたんだろうなと思いますね。
Q. 目の前で成果が出れば次も頑張ろうと思えるのですが、いつかの偶然のために準備し続けるのはかなり根気が要りそうですね。
そういう意味では、軸を持つことが大事だと思います。
あくまで私の持論ですが、誰かのために役に立ちたいと思って頑張っている人は、準備し続けることができる、強いメンタルを持っているなと感じます。でも、他人の役に立つために頑張るということは、結局は自分のためで、誰かの役に立つことで人間は自己肯定感を満たし、幸せを感じているんです。医師は患者さんのために働くので、その役に立っている姿がイメージしやすい職業です。
小児科であれば「子どもが好きで、社会において見過ごされがちな子どもたちの声を拾ってあげたい」みたいに、誰かのためにという気持ちがある人は何があってもへこたれない強さを持っていると思っていて、そんな人と一緒に小児科をやりたいですね。
⭐️私も「子どもが好き」で小児科医を目指していますが、辛い場面に遭遇した際に乗り越えていけるか不安です。同じ悩みを持つ学生に向けてメッセージをいただきたいです。
おっしゃる通り、病院にいると病気の子どもとしか接しないので可哀想だと感じてしまうかもしれません。ですが、私はやはり救急医として、そのような子どもたちに適切な医療を提供することで社会復帰してほしいと思いが強いです。辛いというのはネガティブなことばかりでは決してなく、医療者側が辛いと感じていても患者さんやご家族が同じように感じているとは限らないと思うんです。そういう体験さえも彼らの人生にとってプラスになるような関わり方ができるといいのではないでしょうか。
小児科をやりたいというのが直感的にでもあるならするべきだと私は思います。もし一緒に辛くなってしまったらそれも1つの感性なので、辞めた方がいいのかもしれませんが、そこで改めて「なぜ小児科を目指したのか?」と振り返ることで、再び沸き立つ思いがあるかもしれません。何事も突き詰めていった先に、それぞれのキャリアアンカーがあると思います。
Q. キャリアを考える時はどうしても先の先を想像してしまいますが、その都度振り返ることも大事なんですね。
元々キャリアという言葉の語源は、荷台が通った後の轍(わだち)から来ています。つまり、皆さんはキャリアと聞くと計画してこれから積み上げていくものだと思いがちですが、実は後にできているものなんです。
キャリアがうまくいっている/いっていないというのは人それぞれ価値観が異なるので一概には定義できないですが、自分の中に軸あってそれを目指して積み重ねてきていれば、自然と満足するんじゃないかなと思います。
医学部卒業後に周りが大学医局に入るところを、あえて自分でレールを外れたというのも「自分で自分の履歴書を作りたい」という気持ちがありました。それはつまり、資源が限られたところでも適切に医療を提供できる医師になりたいと思ったので、臨床研修を熱心にやっているところを研修先として選んだり、アメリカに行ったりとできるだけ厳しい環境に身を置いてきました。満足できる履歴書というのをこれからも作っていきたいと思います。
Q. 当時はインターネットも今ほど普及しておらず、情報が少ない中で、周りと異なる挑戦をすることに不安はありませんでしたか?
不安というより、小児救急は先人がいない領域だったので相談相手がいないことが辛かったですね。英語もできなかったので何度も「日本に帰った方がいいんじゃないか?」と言われましたし、順風満帆なキャリアを積んできたわけではないです。でもそこで私が踏みとどまれたのは、日本や途上国の子どもたちにちゃんと医療を提供できるようにならなければいけないという使命感があったからです。ここで諦めたらどうなるんだと思ったら、誰に何を言われようとしがみついてでもやり遂げてやるというエネルギーが湧いてきました。何度も申し上げている「誰かのためにやり遂げたい」という思いを持っている人の強さとはこういうことなのかもしれません。
小児救急について
Q. アメリカに遅れて日本に導入された北米型小児ERを、本場に負けないレベルまで上げていくにあたり、苦労された点はありますか?
大きな違いとしては、日本の救急医療は小児内科救急であるのに対し、北米型ERというのは外傷系も含めて全て見るというところです。なので、日本で提供されている小児科救急とは、かなり溝があると思っています。
あとは、患者へのアプローチも小児科医と救急医で異なります。小児科医は1つの主訴に対して挙げる鑑別診断をCommon diseaseから考えるのですが、救急医は「これを見逃したら死ぬかもしれない」というCritical conditionから想定し、それを除外するための情報を集めていくんです。私が日本で新しく価値を作ると言っているのは、その救急マインドを広めたということです。
そのために私が最初にとったアプローチが、救急医を集めることでした。正確に言うと、救急医と小児科医のダブルボードの先生方をベースに、スタッフとして救急医を集め、これまでなかった概念を根付かせるための教育をしました。ただ、小児科医にとっては小児救急にアプローチすることで自らの幅は広がるのに対し、救急医にとっては元々成人・小児、外科・内科問わず診ているところを小児科に絞るというのは幅を狭めることになってしまいます。なので、その魅力を感じてもらうのは、少しハードルが高かったですね。それでもありがたいことに、そこに興味を持って来てくれた先生方がいらっしゃいました。立ち上げ後数年は本当に大変でしたが、学会での演題発表などを通じてリクルートをしていると、3~4年目あたりから人が集まるようになりました。人を集めたり、人数が足りない中で働いたりというのは大変でしたが、新しいものを作っていく情熱を持ちながらみんなで協力して頑張っていましたね。
Q. 次なる目標は「根拠となる安全と安心を全国で提供する」だとおっしゃっていましたが、そのためにどのような課題があると感じていますか?
去年の4月から日本小児救急医学会の理事長に就任したので本腰を入れて取り組まないととは思っているのですが、本当に難しいところですね。でも、変えられるものと変えられないものはあって、例えば少子化の影響でこれからどう頑張っても子どもたちが劇的に増えることはないと思うんですよね。あとは、専門医療の集約化というのも国の方針があるのでなかなか変えられないと思います。子どもたちの数は少なくなりますが、都市部へ集まるので、そういう意味では子どもも医師も集約化できていいのかもしれません。とはいえ、地方にも少ないながらも子どもはいるし、少ない医療資源で彼らを支えているのが現状です。
この状態に対応するため、現在様々な方策を練っています。特に持続可能な形を作るためには、個人に負担がかからないようにすることが大切です。逆に個人のウェルビーイングに注目することで、持続可能なシステムに繋がるのではないかと考えています。
最後に
⭐️小児科志望の学生に向けてメッセージをお願いします。
大人の救急医療をやっていると心肺停止となった高齢者がたくさん運ばれてきますが、小児救急で子どもの心肺停止を診るのはものすごく稀です。なので、重症の子どもが少ないとなかなか経験を積めないのは仕方がないと思ってしまう医師がいます。でも私がお伝えしたいのは、高齢者が亡くなったときに私たちが失うのはその方が築いてきた過去ですが、子どもを救えなかった時に失うものは未来だということです。人口統計上は同じ-1でも、子どもの-1はその次の世代や日本の未来を失っていると私たちは自覚していく必要があると思います。
「では、どうしたら重症な子どもを見逃さずに済むか?」と考えると思いますが、その際にいつも学生さんに覚えてほしいとお伝えしていることが3つあります。
1つ目は“見た目を大事にする”、2つ目は“末梢循環の評価”、3つ目は“帰る時には必ず保護者の方に「何か不安なことがあったら必ず帰ってきてね」と伝えること”です。
見た目の評価は意識せずとも情報として飛び込んでくるのですが、循環の評価は意識しないととれません。例えばCRTのような簡便にできる末梢循環の評価を必ず全員にするように決めておくと、おかしい時に気づけるようになります。ただし、評価はその瞬間だけの情報なので、4時間後6時間後を保証するものではありません。なので、最後に「何かおかしかったら必ず戻ってきてね」と一言伝えることで、未来を守ることにつながるんです。
確かにしょっちゅうあることではないですが、バイタルや末梢循環の確認を全員にやっていると、ある時に未来を救う瞬間に関わることができて、とてもやりがいを感じますね。私もそんな経験はまだ片手で数えられるほどしかないですが、この仕事の醍醐味だと思います。
基本に忠実に、コツコツと続けていくことが何よりも大事ですね。
編集後記
偶然をつかみとるためには日々の積み重ねが大切ですが、その過程では迷いや不安を感じることもあると思います。そんな時に立ち返ることのできる自分なりの軸を持つことの大切さを学びました。
私自身は「子どもが好き」という原点を大切にしながら、一つ一つの経験と向き合っていこうと思います。
貴重なお話をありがとうございました。
